グランドスラム達成間近「平原康多」を徹底解説!引退・獲得賞金・嫁など幅広くご紹介!
競輪予想サイト解体新書の検証担当「近藤 宗康」です。
今回は、平原康多選手について皆さんに紹介します。
競輪において、重賞レースに出場するにはそれなりの実績を築き上げておく必要があります。
名の知れた競輪選手は実績を積み上げ、その結果G1レースなどの注目度の高いレースに頻繁に出場しているのが事実です。
今回は、そんな重賞レースの常連選手であり数々のタイトルを獲得している平原康多選手の活躍から引退の噂、獲得賞金や嫁について徹底解説!
是非最後までご覧ください。
目次
平原康多選手のプロフィールをご紹介!
まずは平原康多選手の簡単なプロフィールからご紹介します。
表記 | 平原 康多(ひらはら こうた) |
---|---|
生年月日 | 1982年6月11日 |
年齢 | 42歳 |
出身地 | 埼玉県 |
身長 | 185.0cm |
体重 | 95.0kg |
血液型 | A型 |
期別 | 87期 |
ホームバンク | 西武園競輪場 |
JKA表彰歴 | 優秀選手賞(2009、2015~2017、2021) ベストナイン(2008~2011、2015~2023) 500勝選手賞 |
獲得タイトル | 日本選手権競輪(2024) 寛仁親王牌・世界選手権記念(2021) 第34回共同通信社杯(2018) 読売新聞社杯全日本選抜競輪(2017) 朝日新聞社杯競輪祭(2014、2016) |
縁故選手 | 平原 康廣(父28期・引退) 平原 啓多(弟97期) |
平原康多選手は埼玉県出身の競輪選手。
父親である平原康廣さんがキッカケで自転車競技を始めました。
高校在学中には、ジュニア世界選手権に出場するほどの腕前があったのだとか。
実の弟である平原啓多選手は共に練習する仲間でもあります。
競輪一家の環境で育ってきたことなので、競輪選手を目指すのも不思議ではないですよね。
平原康多選手の活躍までの軌跡をご紹介!
87期生として競輪学校に入学した平原康多選手は2002年に競輪選手としてデビューを果たします。
そこから現在に至るまでの20年以上もの間、競輪選手として成し遂げた功績は目覚ましいものです。
その中でも重賞優勝歴を下記にまとめてみました。
レースグレード | 大会名 | 開催年 | 開催地 |
---|---|---|---|
G1 | 日本選手権競輪 | 2024 | いわき平 |
G3 | ふるさとカップ | 2022 | 弥彦 |
G3 | 大楠賞争奪戦 | 2022 | 武雄 |
G3 | 水都大垣杯 | 2022 | 大垣 |
G3 | 東日本発祥倉茂記念杯 | 2022 | 大宮 |
G1 | 寛仁親王牌・世界選手権記念 | 2021 | 弥彦 |
G3 | 水都大垣杯 | 2021 | 大垣 |
G3 | 東日本発祥倉茂記念杯 | 2021 | 大宮 |
G3 | 鳳凰賞典レース | 2021 | 立川 |
G3 | 京王閣記念ゴールドカップレース | 2020 | 京王閣 |
G3 | ふるさとカップ | 2020 | 弥彦 |
G3 | 金亀杯争覇戦 | 2020 | 松山 |
G3 | 東日本発祥倉茂記念杯 | 2020 | 大宮 |
G3 | ゴールド・ウイング賞 | 2019 | 西武園 |
G3 | 第25回 中野カップレース | 2019 | 久留米 |
G2 | 第34回共同通信社杯 | 2018 | 高知 |
G3 | ゴールドカップレース | 2018 | 京王閣 |
G3 | 鳳凰賞典レース | 2018 | 立川 |
G1 | 読売新聞社杯全日本選抜競輪 | 2017 | 取手 |
G3 | 被災地支援東日本発祥倉茂記念杯 | 2017 | 大宮 |
G1 | 朝日新聞社杯競輪祭 | 2016 | 小倉 |
G3 | 被災地支援 阿波おどり杯争覇戦 | 2016 | 小松島 |
G3 | 阿波おどり杯争覇戦 | 2015 | 小松島 |
G3 | 東日本発祥倉茂記念杯 | 2015 | 大宮 |
G1 | 朝日新聞社杯競輪祭 | 2014 | 小倉 |
G3 | 春日賞争覇戦 | 2014 | 奈良 |
G3 | 鳳凰賞典レース | 2014 | 立川 |
G3 | 水都大垣杯 | 2013 | 大垣 |
G3 | 阿波おどり杯争覇戦 | 2013 | 小松島 |
G1 | 読売新聞社杯全日本選抜競輪 | 2013 | 松山 |
G3 | 東日本発祥倉茂記念杯 | 2013 | 大宮 |
最近でもグランプリで優勝していることから、現在も競輪界の第一線で活躍する選手の一人であることは間違いないでしょう。
その中でも、平原康多選手という存在を大きく知らしめた転機について、以下4つにまとめました。
- 2008年KEIRINグランプリに初出場
- 競輪祭を3度制覇
- 通算500勝を達成
- 日本選手権競輪を初優勝
それぞれ詳しく解説していきます。
2008年KEIRINグランプリに初出場
競輪選手としてデビューした平原康多選手は、実績を積み上げ2008年に競輪選手の最高峰クラスとなるS級S班の初代18名に選出されます。
同じ年に自身初となるKEIRINグランプリへの出場も決定。
当時のKEIRINグランプリ決勝戦の出走表がこちらになります。
2番手で走る平原康多選手が後方を確認し、舵を切って仕掛けます。
それに気づいた先頭の佐藤友和選手が外側に膨れ、後方からの仕掛けをブロック。
形勢が変わらないまま打鐘がなりますが6番手の永井清史選手が外側からの凄まじい捲りで一気に先頭に出ました。
しかし、最終第4コーナーで小嶋敬二選手が加速し先頭を奪うと同時に永井清史選手は失速。
最終直線で井上昌己選手が差し込み1着で勝利しました。
それに続く形で平原康多選手は2着でゴール。
僅差での決着という形で優勝は叶いませんでしたが平原康多選手が競輪界でのトップ選手であることを示したレースでもありました。
当時のレース動画は、こちらよりご覧ください。
競輪祭を3度制覇
KEIRINグランプリという競輪界最大のグランプリの架け橋となるのが、競輪祭です。
6日間という長いレース期間で、優秀な成績を残した選手がKEIRINグランプリ出場権を勝ち取ります。
この競輪祭を平原康多選手は、3度の優勝を達成しました。
初の競輪祭優勝を勝ち取ったのが、KEIRINグランプリ初出場の翌年である2009年。
当時の出走表が、こちらです。
決勝戦ということで、いずれの選手も実力が拮抗していることが分かります。
3・5・7・9番車の中部ラインが、本レースで注目ラインとされていました。
レース残り2周で中部ラインが仕掛け始めますが、平原康多選手が間に入って阻止。
最終直線に入る時点で、永井清史選手・平原康多選手・海老根恵太選手という並びになります。
最終直線で並列して走る形となりますが見事な差し込みで平原康多選手が見事優勝!
この年に高松宮記念杯と合わせて2度のタイトルを獲得したことで、平原康多選手の才能と実力が開花した年となりました。
快進撃を続ける平原康多選手は続く2014年・2016年の競輪祭でも優勝することとなりました。
2009年の当時のレース映像は、こちらからご覧ください。
通算500勝を達成
平原康多選手が競輪選手としてのキャリアで成し遂げた功績で語らずにはいられないのがデビュー以来通算500勝の達成です。
2024年3月に開催された玉野競輪でのレースにおいて、この偉業を成し遂げた平原康多選手は、インタビューで以下のように語りました。
玉野記念で記者から499勝だと言われて知ったくらいで、ずっと意識していなかった。苦楽をともにした森田(優弥)が仕掛けて勝てた500勝はやっぱり思い出には残りますね。
–スポーツ報知より引用-
平原康多選手自身は、1つの勝利を積み重ねていった結果、気づくと500勝まで上り詰めていたという感覚だったようです。
デビュー22年目にして、自身の記録を新たに樹立していることから未だ競輪界で活躍を続けていると言えるでしょう。
日本選手権競輪を初優勝
2024年に平原康多選手が達成したもう一つの偉業が日本選手権競輪での優勝です。
5月5日にいわき平で開催された第78回日本選手権競輪G1決勝戦の出走表がこちら。
古性優作選手などのS級S班の選手も参加しているまさに頂上決戦とも言える出走メンバーです。
このレースで平原康多選手は、吉田拓矢選手・武藤龍生選手とラインを組みます。
後方の配置にいたこのラインですが、打鐘がなると吉田拓矢選手を筆頭に外側から仕掛け、先頭に。
最終コーナーでは、後方から諸橋愛選手が内側から仕掛けますが、番手の武藤龍生選手が上手くブロックして入ってくるのを防ぎます。
前方の並びが吉田拓矢選手・平原康多選手の順で最終直線に入りますが平原康多選手の差し込みで見事1着を獲得!
この勝利について、平原康多選手は同じラインを組んでくれた選手のおかげという謙虚な姿勢でインタビューを答えました。
平原康多選手のライン間での信頼関係と連携力、そして自身の粘り強さがあっての勝利だったと言えるでしょう。
この優勝により、グランドスラム達成まで残すとこオールスターの優勝のみとなりました。
当時のレース映像は、こちらよりご覧ください。
平原康多選手の引退の噂について
ここまで平原康多選手の活躍ぶりを一気にご紹介してきましたが、これまでの競輪人生の全てが順風満帆というわけではありませんでした。
2023年に平原康多選手はレース中の落車により、右肩甲骨骨折と診断されます。
2022年から4回もの度重なる落車で、これまで10年間維持していたS級S班から陥落してしまうことに。
このことが原因で引退の噂まで立つこととなりました。
しかし、実際のところ本人の口から引退の話が出たわけではなく、前述した通算500勝達成など見事怪我から復帰し、現在に至ります。
この経験について、平原康多選手は以下のように語りました。
自分ひとりのメンタルだけでは、到底耐えられなかったと思います。一緒に練習してくれる仲間、“ライン”を組む仲間に支えてもらったからこそ、いままで戦ってこられました。
「自分が勝つ」というよりも「みんなで勝つ」。仲間の勝ちも喜べるような関係で競輪をやりたいので、いまの自分にはそう思える仲間がいて幸せです。
–けいりんマルシェより引用-
周りの支えが合って、復活することができた平原康多選手。
感謝の気持ちを大事にしているからこそ、多くのプレッシャーに打ち勝ち、頑張ってこれたのでしょう。
平原康多選手の獲得賞金は?
現在も現役選手として活躍する平原康多選手。
一体どれくらい稼いでいるのか気になりますよね。
調べてみた所、2022年11月末時点でなんと通算生涯獲得賞金が15億円を達成したとのこと!
一生かかっても使い切れないくらいの金額ですね・・・
直近5年間の獲得賞金は以下の通りです。
2024年 ※10月末時点 |
126,816,400円 |
---|---|
2023年 | 47,795,800円 |
2022年 | 103,859,000円 |
2021年 | 126,293,400円 |
2020年 | 89,413,900円 |
怪我でレースの出場が減った2023年を除きいずれの年も1億円前後稼いでいることが分かるでしょう。
この年収を見ると、いかに競輪選手が夢のある仕事であるか分かりますね。
なお、2024年の獲得賞金額は現在時点で競輪界2位となっています。
トップ競輪選手の稼ぐ金額は、ケタ違いです!
平原康多選手が誘導員としてデビュー!
2024年8月に平原康多選手は、競輪の誘導員デビューを果たします。
誘導員をしたキッカケは、単純に現役選手で誘導員をやっている選手がいなく、興味本位でやってみたのだとか。
平原康多選手は誘導員の仕事を通じて、競輪のレースには多くの人達の協力があって、成り立つものだということを感じたそうです。
こういった新たな挑戦に積極的に動いていく姿勢があるからこそ平原康多選手は一流の競輪選手になれたのではないでしょうか。
平原康多選手の嫁は?
平原康多選手は2010年に結婚を発表しており、お嫁さんをもらっています。
お相手は一般人の方とのことで、3人のお子さんがいるようです。
夫婦関係も良好のようで、直近のインタビューでも家族旅行を計画しているなど家族愛あふれる一面も見せています。
自身の父親が競輪選手の平原康多選手ですが、現在中学1年生のお子さんは競輪選手への興味はないようです。
家族の存在が、きっと平原康多選手が競輪選手を続けられる励みになっているのでしょう。
平原康多選手のまとめ
今回は、平原康多選手についてご紹介しました。
まとめると、以下の通りです。
- 父・弟も競輪選手
- 競輪祭を3度制覇
- 通算500勝を達成
- オールスターを優勝すればグランドスラム達成!
- 現在のところ引退は考えていない
- 奥さんと子ども3人の5人家族
猪突猛進で走り続ける平原康多選手。
来年には、S級S班に昇格するのも夢ではないはず。
これからも競輪界に感動を届け続けてくれるでしょう!
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