レジェンド「滝澤正光」は努力の人だった!現在・経歴・奥さんなど徹底網羅!
競輪予想サイト解体新書の検証担当「近藤 宗康」です。
今回は「滝澤正光」選手についてご紹介します。
あなたは競輪において好きなプレースタイルはあるでしょうか。
他を寄せ付けない「逃げ」終盤に向かってギアを上げる「捲り」など、スタイルは十人十色です。
今回はデビュー当時から、果敢に先頭を走るスタイルでファンを魅了したレジェンド滝澤正光選手について徹底的にリサーチしたので、ご紹介します。
目次
滝澤正光とは?
表記 | 滝沢 正光(たきざわ まさみつ) |
---|---|
生年月日 | 1960年03月21日 |
年齢 | 63歳 |
出身地 | 千葉県 |
身長 | 180cm |
体重 | 90kg |
血液型 | O型 |
期別 | 43期 |
ホームバンク | 千葉競輪場 |
自転車競技歴 | ・KEIRINグランプリ 1987,1993 ・日本選手権競輪 1984,1986,1988 ・オールスター競輪 1987,1990 ・高松宮記念杯 1985-1987,1989,1992 ・競輪祭 1990 ・全日本選抜競輪 1987 ・ふるさとダービー 1回 ・共同通信社杯 1990 ・寛仁親王牌 1993 |
好きな食べ物 | – |
嫌いな食べ物 | – |
滝澤正光選手は、千葉県出身の63歳、登録機は43期です。
大柄でパワフルな走りが自慢だったため、現役時代は「怪物」と称されていました。
現役を引退した滝澤正光選手は現在、日本競輪選手養成所の所長として競輪界の発展に貢献しています。
フラワーラインの中心選手!
競輪界にはグループが存在し、ファンの間からは名前がつけられていることがよくあります。
滝澤正光がくくられていたグループは「フラワーライン」。
当時ダッシュ力による”捲り”に定評があり、その速さから「九州のハヤブサ」と呼ばれた中野浩一選手を止めるために作られたラインのことです。
滝澤正光選手は180cmと大柄でパワフルな走りが重宝され、フラワーラインの中心選手として中野光一選手の猛攻に対抗していました。
滝澤正光選手は一瞬のダッシュ力では一流選手よりも劣ることを自覚していたようです。
そのため、とにかく積極果敢に先行して最後はラインの誰かが勝てばいいという心構えでレースに臨み、やがて日本一の先行選手を目指すようになりました。
滝澤正光の通算成績・獲得タイトルについて
井上茂徳選手や中野浩一選手など、スター選手が多く存在していた時代に滝澤正光も輝かしい成績を収めてきました。
通算成績は2457走中787勝、優勝回数150回。
主な獲得タイトルは以下の通りです。
獲得タイトル | 達成年月 |
---|---|
KEIRINグランプリ | 1987,1993 |
日本選手権競輪 | 1984,1986,1988 |
オールスター競輪 | 1987,1990 |
高松宮記念杯 | 1985-1987,1989,1992 |
全日本選抜競輪 | 1987 |
ビックタイトルを数多く獲得していることがわかります。
中でも高松宮競輪杯は三連覇を果たしており、30年以来の大記録となりました。
滝澤正光の生涯獲得賞金は17億円超え!
1979年のデビューから2008年の引退まで、滝澤正光選手は競輪界の界の第一線を引っ張ってきました。
その功績についた賞金も凄まじく、生涯獲得賞金は17億5,644万円。
この額は、歴代の競輪選手の生涯獲得賞金ランキングでは4位となっています。
猛者が集まるS級レースの年間最多勝利(64勝)を記録しており、勝負強さは17億という金額に繋がった要因の1つといえるでしょう。
2008年6月30日に引退
1979年から競輪界の第一線を引っ張ってきた滝澤正光選手ですが、2008年6月に現役を引退しました。
きっかけは長年格付けされてきたS級からA級への降格。
当時滝澤正光は体力の衰えを隠せずにいたので、妥当な結果と思われました。
しかし、滝澤正光選手は「A級に下がってまで走り続けるつもりはない」と語り、降格を待たずして引退。
第一線で走ってきたレジェンドだからこそのプライドがあったのでしょう。
惜しまれつつも、27年の競技人生に幕を閉じることとなりました。
滝澤正光の伝説をご紹介!
長年、日本競輪界を盛り上げてきた滝澤正光選手。
その強さから数々の伝説を残していますが、今回はそれらの一部を紹介します。
代表的なものは以下の4つです。
- 全スポーツ選手の中で獲得賞金が1位
- 史上2人目のグランドスラム達成
- 名前がレース名に
- 名言が話題に
どの伝説も未だ語り継がれており、滝澤正光選手の凄さを証明するものとなっています。
全スポーツ選手の中で獲得賞金が1位に!
生涯獲得賞金は17億円以上となった滝澤正光選手ですが、1987年には日本の全スポーツ選手の中で最高年俸を獲得しました。
この年は13場所連続優勝・特別競輪3連覇・KEIRINグランプリ優勝と特に活躍が目覚ましく、年間で賞金総額は1億1,400万円にも上っています。
当時プロ野球最高年俸の落合博満を抜き、話題になりました。
ここまでの額が稼げたのは、滝澤正光の才能や努力あってこそなのはいうまでもありません。
「頑張った分だけ稼げる」という競輪界のイメージは、彼の活躍なしでは築けなかったことは間違いないでしょう。
史上2人目のグランドスラム達成!
滝澤正光選手は数多くのビックタイトルを獲得していますが、中でもファンの間で印象的だったのはグランドスラム達成でしょう。
グランドスラムとその年の特別競輪全冠制覇することで、滝澤正光は以下5タイトルを同じ年に獲得しました。
- 全日本選抜競輪
- 日本選手権競輪
- 高松宮記念杯競輪
- オールスター競輪
- 競輪祭
各タイトル1つ取るのも難しい中で、全て優勝してしまったことには、この年の滝澤正光選手の圧倒的な強さが伺えます。
達成が極めて難しい偉業とされている中、滝澤正光選手は井上茂徳選手に次いで史上2人目のグランドスラム達成者となりました。
2023年5月現在、グランドスラム達成は4人しか達成しておらず、競輪の歴史に滝澤正光選手の名前が深く刻まれている理由がわかりますね。
滝澤正光の名前がレース名に!
滝澤正光選手のホームバンクであった千葉競輪場では、彼の功績を称えて引退した2008年より記念競輪のタイトルを、それまでの「秋桜杯」から「滝澤正光杯」へと改名しました。
レースが行われる日にはテレビ中継のゲストととして参加し、自身のレースを盛り上げています。
2018年からは開催場所を千葉競輪から松戸競輪に移していますが、変わりなく毎年開催。
時期が12月とシーズン終盤のグランプリに向けてスター選手が調整として集まることが多く、毎年注目が集まっています。
滝澤正光の名言が話題に!
滝澤正光選手は現役の競輪選手やファンに向けて、とある名言を残しています。
それは「練習が仕事、競技は集金」という言葉です。
厳しい練習を乗り越えれば、その分の対価が結果として、賞金として入ってくることだと考えられます。
一見真っ当なことを言っているように思えますが、競輪界では練習をしても努力が報われない選手は多く存在するのが現実です。
そんな中で滝澤正光選手が、これほどまではっきり言い切れたのには自分の練習に対する絶対的な自信と結果と賞金が帰ってくるという自信があったのでしょう。
成績がなかなか振るわない選手には酷な言葉に聞こえますが、逆にそのような選手を鼓舞する形になれば競輪界は盛り上がりそうですね。
滝澤正光選手を超えるスター選手から新たな名言は生まれるのか、期待しましょう。
滝澤正光の現在について
数多くの伝説を紹介してきた滝澤正光選手ですが、2008年に引退し27年の競技人生に幕を閉じました。
では、現役時代「怪物」と称されるほどのパワフルな走りを見せていた滝澤正光選手は、引退後どのような生活を送っているのでしょうか。
調べてみると、レジェンドとして競輪界の発展に貢献している姿や、選手時代にはあまり見えてこなかったプライベートな一面がわかってきたので、ご紹介します。
日本競輪選手養成所の第23代所長に就任
滝澤正光選手は、長年の功績や競輪に対する姿勢が評価され、2010年4月に日本競輪学校の第23代校長に就任。
現役時代から名誉教官を務めており、かねて奉られていた愛称「滝澤先生」が昇進のような形で現実になりました。
現在日本競輪学校は、日本競輪選手養成所と名前を変えており、滝澤正光選手も肩書が「所長」に変わっています。
競輪界の第一線を走ってきたレジェンドとして、後輩たちの教育を通して競輪界の発展を図っているのでしょう。
引退してもなお、このような活動を続けていることには、競輪というスポーツに対しての感謝や敬意のようなものが伺えます。
妻である1987年度ミス日本の「桑原多賀子」と幸せに暮らしている
滝澤正光選手は、1987年度ミス日本に輝いている桑原多賀子さんと結婚されています。
出会いのきっかけは日本テレビ系のバライティ番組で、当時独身だった滝澤正光選手のお嫁さんを募集するコーナー。
2人のキューピットとなったのは、番組の総合司会であったお笑い界の重鎮であるビートたけしさんでした。
結婚式にも招待されており、2人の結婚を祝福しました。
滝澤正光のまとめ
今回は、滝澤正光選手について紹介しました!
まとめると以下の通りです。
- 中野浩一を止めるためのフラワーラインの主力選手であった
- 生涯獲得賞金は17億を超えた
- 最高年俸が全スポーツ選手の中で1位になったことがあった
- 日本競輪選手養成所の所長を務めている
- 奥さんとの関係を結んだキューピットはビートたけし
滝澤正光選手の伝説や偉業は、未だに語り継がれているものが多くありました。
競輪の歴史を語る上では外せない選手の1人といえるでしょう。
今後、滝澤正光選手が長を務める日本競輪選手養成所からは、彼を越える選手は生まれてくるのでしょうか。
滝澤正光選手とその後輩の選手たちの活躍に、今後も期待が高まります。
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